『勉強の哲学』の要約を読んで
今日もvoicyやらflierやらでインプット。
大したアウトプットになっていないが、
日記的にブログを更新したい。
しかし…昨日のブログは酷いもんだな…
と反省しきりである。
自分自身の気付きの記録としてのブログとは言え、
文章力と国語力のなさに辟易とした次第である。
さてさて、いつもの下らない自虐は置いておこう。
今日のflier
いつものように『荒木博行のbook cafe』を聴き
刺激を受けるひと時を過ごす。
最近ではコメントをするようになり、
コメント返しで自分のコメントが読まれると、
荒木マスターと会話しているような感覚になり、
嬉しく思う今日この頃である。
さて『今日のflier』のコーナーで
紹介されていた書籍が『勉強の哲学』である。
まだflierの要約しか読めていないが、
荒木マスターの語り口とともに、
興味をそそられる内容であり、
書籍も購入して読んでみたいと思う。
今日はflierを読んで感じたことを、
つらつらと書いていきたいと思う。
勉強の哲学
この本の中で言われていることを
簡単に書いてみる。
(注意:引用しているわけではないので表現の違いもあり内容が異なるかもしれない)
↓
勉強しなくても生きていくことはできる。
それは流れの中で、周りのノリで生きる、
ということである。
深く勉強することで、
新たなノリを獲得することができる。
また勉強することで、
別のノリへ引っ越すことができる。
例えば経済学を学んでいた人が、
社会学を学ぶとするとノリが変わるので、
社会学を学んだ後は経済学のノリについていけず、
浮いてしまうこともある。
大体こんなところだろうか。
上記の注意にもあるように、
引用しているわけではないので、
若干表現が異なるかもしれない。
要約を読み、薬剤師の世界を思い返して、
似たようなことがあるなぁと感じた。
それは世の中に沢山ある
学会や研究会のことである。
様々な団体
私が過去に様々な学会の研修やセミナーだったり、
研究会や介護分野の集まりなどに参加したことは、
以前のブログでも書いた。
(参照:震災後の釜石での生活の中で - ~学びと気付きの場所作り~)
沢山の分野に触れ、
沢山の会に参加して、
思ったことがある。
どれも薬剤師として患者さんのために
何ができるのかということを追求しているなぁ
ということだ。
それなのに、たまに、
学会が異なるというだけで、
対立したりすることがあったり、
そんな様を目にすることもあった。
(頻繁に目にしていたわけではないので悪しからず)
これなどまさに、
『勉強の哲学』で言われているような、
細かなノリの違いなのではないかと思ったのだ。
勉強の深め方
要約中には『追求型と連想型の勉強』
という項目があった。
腎臓病薬物療法で例えて言うなれば、
腎臓病薬物療法のみを深めていくのが追求型で、
関連する薬物動態学や心腎連関という言葉がある
ように循環器分野を学ぶといった横方向に
広げながら深めていくのが連想型というところか。
(あまり良い例えではないかな…)
タテ方向にひたする深めるのが追求型で
ヨコ方向に広げながら深めるのが連想型、
といった表現も書かれていた。
そう考えると、様々な学会や研修に
参加したことで、連想型の勉強をしていたのだな、
と気付かされた次第である。
相変わらずの薄っぺらい感想のようなブログだが、
要約を読んで思ったことを書かせてもらった。
明日もまた駄文ブログを更新していきたい。