~学びと気付きの場所作り~

◆地域での活動や、日々試行錯誤した事について書いています◆

震災後の釜石での生活の中で

東日本大震災は、私の人生に大きな影響を与えたと思う。釜石に来たのは、ここでお金を貯めて留学したいという夢を叶えるためであったが、日々の生活の中で薬剤師としてのやり甲斐を持つようになり、また釜石のために何かできることはないかと考えるようになり、夢や目標も変わっていった。

 

薬剤師としてのやり甲斐

 

薬剤師としてのやり甲斐を感じたキッカケはたくさんあるが、一言でいうならば、できる事が増えて患者さんからの感謝を得られるようになったこと、これに尽きる。

 

できる事が増える、というのは能力が上がることで、薬剤師としての知識や経験が行動力に結びついた結果である。

知識や経験を増やそうと思ったのは、常に自問自答を繰り返していたからだ。それは『目の前の患者さんのために自分は何ができるのだろうか?』という強烈な問いである。

 

その問いに挑むにあたり、書籍を購入したり、研修に参加したり、と自己研鑽し続けた。

私の記憶が確かならば、薬剤師になって最初に購入した書籍は『実践ファーマシューティカルコミュニケーション』だったと思う。

実践 ファーマシューティカルコミュニケーション

実践 ファーマシューティカルコミュニケーション

 

なぜ、この書籍を購入しようと思ったかといえば、日々の患者さんとのやり取りの中で、いかに患者さんとコミュニケーションをとり、それを服薬指導に活かしていくか、悩むことが多かったからだ。

今思えば、私に欠けていたのは、コミュニケーションという手段というよりも、圧倒的なまでの薬剤師としての知識不足であったのだが、当時の私はそんなことよりコミュニケーションだ、という頭だったと思う。

 

この書籍を読み込んで、日々実践する中で、患者さんとコミュニケーションが取れるようになっていった。

その後、私の薬剤師感を強烈に塗り替えるインパクトを持った書籍に出会った。

川添先生の『Do処方 特変なしから脱却せよ』である。

そして、この書籍の中で紹介されていた『薬から考える思考ではなく、暮らしから考える思考を』という考えに触れ、私はどんどんと薬剤師の魅力にのめり込んでいった。

 

どんぐり未来塾との出会い

 

薬剤師の面白さを知るとともに、患者さんと関われば関わるほど『自分に何ができるのか?』という問いがどんどんと湧き出てきた。

そんな私を見て、うちの社長が紹介してくれたのが、どんぐり未来塾であった。

(参照:NPO法人 どんぐり未来塾 | 副作用機序別分類などの研修会やアプリの案内をしています。)

 

どんぐり未来塾代表理事の佐藤ユリさんと、うちの社長が大学時代に仲が良かったこともあって生まれた縁であった。

ここで、私は学生時代に苦手としていた薬物動態を如何に現場で活かすことができるのか、を学ぶとともに、薬剤師としての熱いハートを持った人々との出会いが刺激的かを知ることになった。

 

在宅訪問の経験

 

どんぐり未来塾の研修に参加することで、また新たな力を得ることができた。

そんな私をさらなる世界へ導くキッカケとなったのが、在宅訪問の経験である。

 

震災前から釜石に来て働いていた職場、ハロー薬局。今ではこの店舗の薬局長となるのだが、私が働き始めた当初から在宅訪問実績はあった。

ただ、その中身は単なる配達と言われても仕方がないものであったと思う。

 

私に強烈な問題意識を与えたのは、ある患者さんとの出会いであった。

震災後、ある処方箋を受け付けた。

80歳女性

リカルボン錠50mg

月1回 起床時服用 3日分

この処方箋を当薬局に持ってきたのは、患者の夫であったのだが、うちの薬歴を見てふと疑問に思った。うちの薬局の利用はおよそ1年ぶりであり、1年前の処方は以下の通りであったからだ。

リカルボン錠1mg

1日1回 起床時服用 30日分


いつから月1製剤に変更になったのか?

お薬手帳がなかったこともあり普段は別の薬局を利用しているのか?

といった疑問を抱いていると、当時共に働いていた事務スタッフから「上中島店をいつも利用している患者さんだったと思いますよ」との発言があった。

上中島店は、中田薬局の1店舗で系列店である。

 

そこで、まず上中島店から薬歴情報を得ることにした。すると、この日から50mgへ変更になっていることがわかると共に、50mgに変わるにしては早めの受診であることが判明した。つまり、1mg製剤が計算上残っているはずだったのである。

そこで、患者さん宅に電話して本人とお話してみることにした。

電話をかけてお話してみたが、話が噛み合わない。

これは家に直接行ってみる必要性を感じ、患者さんに同意を得て自宅訪問した。

すると…

 

出るわ出るわ残薬の山…

 

これを見てしまった私は、薬剤師としては3年目くらいであったが、責任を持って患者さんの薬物治療に関わらなければならない、そんな気持ちにさせられたのだった。

 

その後、この患者さんと居宅療養管理指導の契約をして関わっていくことになる。

薬剤師主導型の在宅であったし、県立釜石病院初(だと思う)の居宅療養指導だったと思う。

そして(今では違うアプローチをすると思うが)一包化して、服薬カレンダーに日付入り一包化薬をセットし、定期的に患者さん宅に訪問することになった。

その過程で、用法を減らしたり、減らす過程で情報提供書を活用したり、行動していったのだが、そんな折、日本在宅薬学会の存在を知る。

この学会との出会いが、さらなる学会の世界へ私を導いたのだった。

 

学会や薬剤師との出会い

 

その後は多くの学会に顔を出すことになる。

・日本在宅薬学会

・日本プライマリ・ケア連合学会

・日本アプライドセラピューティックス学会

・日本腎臓病薬物療法学会

・日本老年薬学会

(所属した順)

は現在所属している学会であるが、学会以外で所属しているのは、

・どんぐり未来塾

・J-HOP

・AHEADMAP

(所属した順)

である。

 

また、医療系以外にも、介護関係の研修会やセミナーにも参加して来た。

大きいものだと、

・介護の学校(八戸)

・介護の学び舎(東京)

そして釜石でも活動しているケアカフェ関連のイベント(全国大会)などにも参加し、そこでたくさんの出会いがあった。

 

そうした場所に来る方々は、大抵熱いハートを持った人ばかり。

研修やセミナーの内容はもちろんのこと、たくさんの人との出会い、そして幅広い分野の知識が、私の視野をどんどんと広げてくれた。

 

もともと、サッカーの指導者を目指していたこともあり、判断して行動することの重要性を感じていた。だからこそ、日々の業務の中で、失敗してもよいから行動することに重きを置いてきた。

そんな行動に、上記のような経験から視野が広がったことで、様々な選択肢が頭の中にストックされ、行動の質が上がっていったと思う。

 

分野を絞らず、それこそ、聴く前にはどんなことに役立つかなんて想像もつかないような内容のものも、とにかく自分の中に一度通してみた。

そうした経験が、薬剤師としてのやり甲斐を感じさせてくれると共に、薬剤師の魅力にはまっていくキッカケとなった。

 

そんなこんなで、サッカーの指導者になるという夢よりも、薬剤師として何ができるのか、そして釜石のために何ができるのか、と思うようになったのだが、今日のところはこのへんにして、また明日続きを書いていきたい。