世間のイメージとクイズ番組
日記的に、1〜2日に1回のペースで更新している。
今日は『日本で頭が良いと言われる人』について
思いつくままに、つらつらと書いていきたい。
いつものように『悪魔で個人の見解です』的な、
くだらない文章になると思われるが、
自らの文章トレーニングも兼ねて、
なるべくマトモな文章になるよう心がけたい。
頭が良い人のイメージ
多くの人が描く『頭が良い人のイメージ』は、
『勉強ができる』というものではないだろうか。
私が小さな頃から、今に至るまで、
多くの人と出会い、会話する中で、
大半の人のイメージがそうなのではないか、
そう感じている。
そして、そのイメージに何か違和感を覚えている。
確かに『勉強ができる=頭が良い』は
成り立つのかもしれない。
しかし『勉強ができない=頭が悪い』というのは
成り立たないと思うのだが、多くの人は、
この図式が成り立っている気がするのである。
ちなみに、ここで言う『勉強ができる』というのは
学校の成績が良いといった意味合いである。つまり
『勉強ができない=学校の成績が悪い=頭が悪い』
というのは成り立たないと、私は考えているし、
様々な評価基準や価値観があっても良いのでは?
と思っているのだ。
学校の勉強
今の義務教育の現場が、実際にどんなものか、
知っているわけではないし、現場の教員が、
苦労しながら学生を相手にしているであろうことは
何となくうかがい知るところである。
しかし、様々な書籍や、教育に携わる方々の意見を
耳にする限りでは、そもそもの教育のあり方に、
メスが入れられる時が来ているのかもしれない。
尊敬すべき憧れの落合陽一氏の書籍を読み、
日本の教育の根本にある思想は、
100年程前から変わっていないことが書かれていた。
(確かそうだったと記憶している)
均質で問題解決能力の高い人材が育成されるよう、
日本の教育が形作られているといった話だったと
記憶している。
また、山口周氏の書籍にも、正解を出す能力は
AIにとって変わられるのではないか?
といった問いが書かれていたと記憶している。
こうした流れから考えると、今後は、
『勉強ができる=学校の成績がよい=頭が良い』
という図式すら成り立たない時代になるのでは?
といった疑問が湧き起こる。
クイズ番組の功罪
多くの日本人が抱くイメージを助長しているのが、
クイズ番組ではないか?と感じることがある。
ちなみに、私はクイズ番組が好きであり、
決してクイズ番組が害悪だ等と言うつもりはなく、
それにクイズ番組は好きだが、全てのクイズ番組を
語れる程研究している訳でもない。
ただ、最近感じていることを書きたいと思う。
クイズ番組には、
学びのきっかけとなる役割があると思っている。
番組を見て、知らないということを自覚すると、
何か学びたくなるのではないか?という意味だ。
番組に出ている人達が、
サクサクと問題に答える様を見て、
ある種の憧れを抱き、『あんなふうになりたい』
と思うかもしれない。
しかし一方で、クイズ問題の大半は、
知識問題であることが多い。
そうすると、結局は知っているか知らないか、
がクイズを解けるか否かに影響する可能性が高い。
そうした単に知るか否か、というものは、
今後価値がなくなっていくのでは?
という問いが近年出てきている状況を考えると、
そんなクイズ番組が醸成する
『クイズが解ける=かっこいい』というイメージは
前述の『勉強ができる』のイメージとも繋がり、
クイズ番組そのものの存在意義を考えてしまう。
書いていて、よくわからなくなってきたが、
要するにクイズ番組を見ることで、
『知っている人=頭が良い』というイメージに、
繋がっていくのではないか?ということだ。
(はじめからそう書けという感じだが)
考えるという行為
散々書いてきたが、
知っていることにも価値はあると思っている。
なぜなら何も知らない状態では、
考えることができないのではないか?
と考えているからである。
何か例えを出せれば、私の考えを
より理解していただけるのかもしれないが、
あいにく、何の例えも浮かばない。
まぁ、色々と拙い文章を書いてきたが、
頭が良いとは何なのか?
ということは今後も考えていきたいと思っている。