~学びと気付きの場所作り~

◆地域での活動や、日々試行錯誤した事について書いています◆

障害に対してテクノロジーで代替可能なのか

昨日に引き続き、今日もflierの要約を読んで

感じたことや考えたことを、

つらつらと書いていこうと思う。

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(参照:(2020年6月7日放送)『ファッション業界のリセット』QUARTZ/ Voicy - 今日を彩るボイスメディア)

 

今日のflier

 

今日のflierは、

『2060 未来創造の白地図』という書籍である。

要約しか読んでいないが、

読んでいてワクワクするような内容であった。

 

2060年というと今から40年後であり、

私は78歳になっている。

現在の基準だと後期高齢者だ。

 

人生100年時代と言われているが、

40年後の平均寿命はどうなっているのか、

そして78歳の私はどうなっているのか、

色々と妄想すると楽しい。

 

昔は、高齢者になっても趣味が沢山あれば

俗に言う老後も楽しく過ごせるのではないか、

と漠然と思っていた。

 

しかし、薬剤師として働き、

多くの高齢者の話を聴き、

人生の先輩方の生の声を聴いて、

その考えは変わっていった。

 

どう変わったのかと言えば、

趣味をしようにも、加齢による衰えで、

出来なくなっていくということを知り、

漠然と趣味が沢山あればよいとは考えなくなった、

ただそれだけなのだが…

 

読書をしようにも加齢による視力の衰えが影響し、

音楽を聴こうにも加齢による聴力の衰えが影響し、

楽器を演奏しようにも加齢による…

と言った具合である。

 

もちろん、今現在でも、

老眼に対して老眼鏡はあるし、

聴力の衰えに対しても補聴器があり、

趣味ができなくなるわけではない。

 

そんな中で人生の諸先輩方がいうのが

「面倒になってくる」ということだ。

 

例えば老眼鏡に変えてまで読書をするのが面倒、

といった理由である。

 

こうした諸先輩方の意見に対して、

自分はそうならないようにしたいとか、

老眼鏡に変えるのまで面倒ってどうなの?とか、

言うのは簡単だが、

きっと当事者にならないとわからない心境がある

と思っている。

 

78歳の時の自分がどうなっているのか、

ドキドキワクワクである。

 

息子の障害という視点で

 

以前のブログで、

第二子である息子の障害について書いた。

(参照①:脳室周囲白質軟化症を知った日 - ~学びと気付きの場所作り~)

(参照②:息子の障害を知った時 - ~学びと気付きの場所作り~)

(参照③:過度の期待の先にあるもの - ~学びと気付きの場所作り~)

 

今回、flierの要約を読んで、

息子にどんな障害が出るかにもよるのだが、

テクノロジーの進歩が代替してくれのでは、

と前向きな気持ちになれた。

 

過去ブログにも書いたが、

脳室周囲白質軟化症の息子は、

脳性麻痺になる可能性が高いと言われている。

 

他にも、脳室周囲白質軟化症の障害範囲が広く、

脳性麻痺になるとしても脚だけでなく、

体幹にも麻痺が出る可能性もあるし、

他にも知的障害が出るかもしれない、

と言われている。

 

現在は、リハビリをしたり、

部分てんかんの症状に対して薬を飲んだり。

そんな息子だが、

日々ゆっくりながらも成長する姿を見ると、

勇気をもらえるし、

何より可愛い息子の姿が癒しである。

 

この書籍の要約にもあるテクノロジーの進歩で、

脳性麻痺が出ても、車椅子の機能は、

今以上に良くなり、不自由しないかもしれない。

また、要約には書いていないが、

攻殻機動隊の世界のように

義体という手段ができるかもしれない。

 

今現在でも、ALSの患者さんに対して、

視線入力といった技術がある。

(参照:話せなくなるALS患者が、視線入力×自分の声をもとにした合成音声でコミュニケーションできるようになるサービスを開発する「ALS SAVE VOICE」プロジェクト | Techable(テッカブル))

この技術も40年後には想像もしないような

進化を遂げていると思われる。

また、ALS患者の話でいつも思い出すのが、

分身ロボット『OriHime』である。

(参照:オリィ研究所 | オリィ研究所。株式会社オリィ研究所はOriHime-分身ロボットを開発・提供しています。)

開発者のオリィさんの話を初めて聴いたのは、

日本在宅薬学会の学術大会であったが、

その時よりも進化したOriHimeを見ると、

40年後にはどうなっているのだろうと思うと、

未来は明るいなぁとも感じる。

 

父親として、様々な可能性を考えながら、

息子の成長を見守っていきたい、

そんなことを思った。