~学びと気付きの場所作り~

◆地域での活動や、日々試行錯誤した事について書いています◆

私は何になりたいのか

いつも通りのはじまり文句であるが、

昨日も娘を寝かしつける際に寝落ちし、

毎日更新を心がけていながら、

1日空いてしまった。

 

尊敬する先輩方のように、

毎日更新していきたいと心に誓い、

また今日も駄文を量産していくことになる。

 

何気ない質問

 

私の記憶が確かならば、

2017年なので3年前、

日本在宅薬学会(以下、日在薬)チーム東北で、

2回目の勉強会が開催された時のことだと思う。

 

この勉強会は、

東北地方の日在薬のエヴァンジェリスト

一同に介して、能力向上や、

今後の日在薬の活動などを考えるもの

と記憶している。

(ここ最近エヴァンジェリストとして活動しておらず

 そもそもの趣旨すら忘れているが…)

 

その日は、伊東俊雅氏を招いて、

薬剤師のアセスメントに対して、

講義や実技を交えて学んだ会だった。

 

伊東俊雅氏とは初対面であったが、

なんと大学の先輩にあたる人であり、

経歴だけでなく、

経験に裏付けられた講義中の力強い言葉に、

勇気をいただいた。

 

講義が終わり、

懇親会が開催された際に、

これまた大学の先輩にあたる、

尊敬する安井浩氏から何気ない会話の中で

質問を受けたのだが、

それが今回のタイトルになっている。

 

何になりたいの?

 

「色々頑張ってるけど何になりたいの?」

何分3年も前の話なので、

確かこんな感じの質問だったと思う。

 

安井先輩とは、

2012年にFacebook上で友達となり、

その後2年間は実際にお会い出来ず、

初めてお会いしたのは2014年に山形県で開催された

日在薬のバイタルサイン講習会であった。

 

安井先輩は、

いつも物事の本質を見ている人であり、

Facebook投稿では切れ味鋭い表現をしている方だ。

 

そんな投稿に、

私の同級生はなんだかんだ文句を言っていたが

(その同級生は直接安井先輩に会っていない)

その同級生よりは安井先輩とお会いして

お話したことがある分、

言動の奥にある信念のようなものを感じ、

私自身は好意的に投稿を受け止めていた。

 

そんな先輩からの質問にはっとさせられたのだ。

 

というのも、当時、私は釜石で働いていたが、

週末となれば釜石を離れて、

様々な学会や研修会やセミナーに通っては、

その場所場所でお会いした方と名刺交換し、

Facebookの友達申請をしていた。

 

また、日在薬のエヴァンジェリストの資格を

取得したこともあり、地域の薬剤師や

後進の薬剤師に対して勉強会を開催したり、

ケアカフェ釜石の活動をしたり、

今振り返ってみても、

我ながら精力的に行動していたなぁと思う。

 

そんな姿を見て先輩が思ったのだろう。

 

将来を思うと

 

先輩からの質問にうまく応えられなかったが、

今こうして思い返すくらい私の心に

深く突き刺さる言葉だったと思う。

 

今、voicyで色々な方の色々な意見を聴いたり、

先人達の考えを知る機会を得た上で、

自己分析したり、自分を見つめる必要性を感じる。

 

自分って何なんだろう?

何がやりたいのか?

どうありたいのか?

やりたいことができないのはなぜか?

 

私自身も社会人になってから10年ほど経ち、

薬剤師として働く中で考えも変わってきた。

今年で38歳になるのだが、

今まで様々な方々の支援や関わりがあって、

ようやく今に至る、そんな気がする。

 

それは『世界は贈与でできている』

のflierでの要約を読み、

『荒木博行のbook cafe』での著者対談を聴き、

より鮮明に思うようになった。

今までも、私自身が得た知識や経験を

後進に伝達していかなければ、

と思って行動していたが、

この書籍との出会いでより強く思った次第だ。

(参照①:(2020年5月19日放送)『世界は贈与でできている』近内さん対談1/ Voicy - 今日を彩るボイスメディア)

(参照②:(2020年5月20日放送)『世界は贈与でできている』近内さん対談2/ Voicy - 今日を彩るボイスメディア)

(参照③:(2020年5月21日放送)『世界は贈与でできている』近内さん対談3/ Voicy - 今日を彩るボイスメディア)

 

社会彫刻

 

いつも色々な気付きや刺激を受けている

『荒木博行のbook cafe』

どの放送だったか覚えていないが、

この番組で初めて聴いた言葉で、

とても印象的な概念がある。

 

それが『社会彫刻』という言葉だ。

 

例の如くGoogle検索し引用する。

ヨーゼフ・ボイスの提唱した概念で、あらゆる人間は自らの創造性によって社会の幸福に寄与しうる、すなわち、誰でも未来に向けて社会を彫刻しうるし、しなければならない、という呼びかけである。それは、「芸術こそ進化にとっての唯一の可能性、世界の可能性を変える唯一の可能性」というボイスの信念から発している。ただし、そこでの「芸術」とは、芸術史から出てきたような芸術の観念——彫刻、建築、絵画、音楽、舞踊、詩など——ではなく、それを超えた「拡張された芸術概念」であり、「目に見えない本質を、具体的な姿へと育て」、「ものの見方、知覚の形式をさらに新しく発展・展開させていく」ことである。社会彫刻の発想は、W・レームブルックの彫刻や、R・シュタイナーの「ドイツ国民とドイツ文化界に告ぐ」(1919)などから影響を受けたといわれている。前者の彫刻からは、「なにかが彫刻によってなされなければならない。すべては彫刻なのだ」とボイスは感じとり、そこから「彫刻的な形態を物理的な材料としてだけでなく、心的な材料として考えたときに〈社会彫刻〉の構想へと駆り立てられた」という。シュタイナーの論説からは「社会的な有機体は十分に新しい土台の上に築かれるべきである」ということを受けとり、それもまた社会を彫刻するという発想へと繋がった。もっとも、シュタイナー、つまり人智学からの影響はそれにとどまらず、ボイスが彫り進めようとした社会像の基盤ともなっていた。そして、「貨幣」や「権力」によって人間を抑圧し疎外する社会を変える=彫刻するのは、ボイスが言うところの「芸術家」=「自ら考え、自ら決定し、自ら行動する人々」であり、誰もがそうなる義務があるとさえ表明された。ボイス自身の作品においては、環境への働きかけおよび(理念的には)賛同者の募金により実現した「7000本の樫の木」プロジェクト(1982-87)が社会彫刻の頂点とも捉えられている。

(引用:社会彫刻 | 現代美術用語辞典ver.2.0)

 

私という存在が、社会幸福に寄与し

その結果として『町田和敏』という社会彫刻となり

人生の最期をむかえることができるのであれば

それこそ本望なのだろう。

 

この概念と出会ってからは、

そう思うようになった。

日々の言動、

日々の行動、

その一つ一つを意識していきたい。