~学びと気付きの場所作り~

◆地域での活動や、日々試行錯誤した事について書いています◆

立場が思考を決める

気付けば1週間ほど空いてしまった。

はじめの2〜3日は娘を寝かしつけている最中に、

寝落ちしてしまったことだったが…

 

 

ちなみに、添付したツイートの中で、

『長文のクソみたいなブログを更新すること』

とあるが、voicy『西野亮廣エンタメ研究所』にて、

『人は何故ゴミのように捨てられる「長文」を

書いてしまうのか?』という回があり、

それを聴いてから反省した次第だ。

 

(参照:(2020年5月18日放送)人は何故ゴミのように捨てられる「長文」を書いてしまうのか?/ Voicy - 今日を彩るボイスメディア)

 

尊敬する西野亮廣氏からの指摘で、

自分のブログを振り返ってみた結果、

更新しづらくなったのであった。

(…いかんいかん…人のせいにしては…)

 

あらためて、

日記として、

アウトプットとして、

レーニングとして、

ブログ更新をしているので、

クソみたいな長文ブログでも良しとしようと思う。

 

臨床思考養成塾

 

さてさて、今日は2年目の薬剤師に対して、

臨床思考養成塾〜応用〜第1回を開催した。

 

以前のブログにも書いたように、

受講生にアウトプットする時間を設けて、

そこに対してフィードバックした後に、

本日のテーマに対して学びを深めていった。

 

(参照①:新人研修の見直し - ~学びと気付きの場所作り~)

(参照②:新人研修〜1年目〜 - ~学びと気付きの場所作り~)

(参照③:気がつけば数日間 - ~学びと気付きの場所作り~)

 

当初のスケジュール通りであれば、

応用の第1回は『EBM』であるが、

受講者は昨年の旧プログラムで既に実施済みで、

まだ実施していない『疑義照会と服薬情報提供書』

について今回は取り上げた。

 

(参照:服薬情報提供書を出せるようになるには - ~学びと気付きの場所作り~)

 

1時間の研修時間の最初の30分は、

受講者である2年目薬剤師が、

実際に送ったことのある服薬情報提供書について、

・なぜ送ろうと思ったのか
・どんな内容のものだったのか
・送る際もしくは作成の際に気をつけたことは何か
・送った後のリアクションはどうだったか
・リアクションを受けてどう思ったか
などをまとめてPowerPointを使用して、

プレゼンしてもらった。

 

その発表を聴いて、

あまりの素晴らしさに感動するとともに、

気付かされたことがあった。

 

それが今回のタイトルにもなっている。

 

どこか上から目線だった

 

臨床思考養成塾は、

私が新人教育の必要性を感じて、

勝手に立ち上げた企画である。

 

講師も私自身がつとめていたのもあり、

どこか教えるという意識が働いていた気がする。

 

そんな上から目線だった自分に気がつけたのも、

今日の2年目薬剤師のプレゼンが、

とても素晴らしかったからだ。

 

具体的にどんな点が素晴らしかったのかと言えば、

彼が自ら行動して経験した事例をもとに、

様々な気付きを見事に言語化していたからである。

 

私が教えなくても、

日々の仕事の中で得た気付きを、

自分のものにしているではないか。

 

そう感じるとともに、

今回プレゼンというアウトプットの機会を設けて、

こうした自分の驕りに気がつけて本当に良かった。

 

ちなみに、プレゼンの全体の流れとしては、

失敗した症例を紹介し、

その失敗から得た反省を活かした症例を紹介し、

最後に気付きをまとめていた。

 

薬剤師の仕事や思考方法に、

ある意味で『型』のようなものが存在すると、

考えているのだが、『型』通りにやることは、

最も重要なことではないとも私自身考えている。

 

そう考えているのは、

『型』だけでなく経験した当事者が感じたことを、

いかに自分の血肉とするか、

そうした行為がなければ、

没個性の方向に行ってしまうと思うからだ。

 

薬剤師として平均的なベースの能力は必要だが、

VUCAの時代を生き残っていくためには、

『この薬剤師は他の薬剤師とは何が違うのか』

といった価値を提供できるかどうかが、

必要なのではないだろうか。

 

と言っても、前回のブログに書いたように、

それを過度にアピールすることなく、

アンサングヒーローとして、

または贈与としての存在でいられれば、

なお良いのではないか、そう感じている。

(参照:贈与としての薬剤師という存在 - ~学びと気付きの場所作り~)

 

型と守破離

 

いきなりなんだと思われるかもしれないが、

上記の『型』という言葉から、

守破離』という言葉を思い出したので、

あらためて調べ直してみようと思っただけである。

 

いつものようにWikipediaから引用する。

もとは千利休の訓をまとめた『利休道歌』にある、「規矩作法 守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな」を引用したものとされている。

修業に際して、まずは師匠から教わった型を徹底的に「守る」ところから修業が始まる。師匠の教えに従って修業・鍛錬を積みその型を身につけた者は、師匠の型はもちろん他流派の型なども含めそれらと自分とを照らし合わせて研究することにより、自分に合ったより良いと思われる型を模索し試すことで既存の型を「破る」ことができるようになる。さらに鍛錬・修業を重ね、かつて教わった師匠の型と自分自身で見出した型の双方に精通しその上に立脚した個人は、自分自身とその技についてよく理解しているため既存の型に囚われることなく、言わば型から「離れ」て自在となることができる。このようにして新たな流派が生まれるのである。

(引用:守破離 - Wikipedia)

 

これで、およそ1週間ぶりのブログを終えるのだが、

いつものようによくわからない終わり方だなぁ、

と感じつつ、また明日も更新していきたいと思う。