~学びと気付きの場所作り~

◆地域での活動や、日々試行錯誤した事について書いています◆

過度の期待の先にあるもの

昨日に引き続き、

息子の障害から、

日々考えさせられることについて、

つらつらと書いていきたい。

 

昨日と同様に、

息子の病気や障害について書いた、

過去ブログを添付しておく。

(参照①:脳室周囲白質軟化症を知った日 - ~学びと気付きの場所作り~)

(参照②:息子の障害を知った時 - ~学びと気付きの場所作り~)

(参照③:普通とは何か - ~学びと気付きの場所作り~)

 

親としての希望

 

昨日のブログでは、

義母の発言の中で『普通』というキーワードから、

多様性を受け入れる社会に変遷している現在、

その言葉の意味をあらためて考え直してみた。

 

と言っても、

いつものようにくだらない内容ではあるが…

 

それはさておき、

息子の持つ障害、

脳室周囲白質軟化症』では、

てんかん脳性麻痺の合併の確率が高い、

ということが知られている。

 

具体的にどれくらいの%かは、

定かではない(調べ切れていない)

 

以前契約していた、

UpToDateで脳室周囲白質軟化症について、

調べたことがあるが、

私の検索能力の低さもあり、

具体的な%はわからなかった。

 

ちなみに、

UpToDateは、

契約したものの、

利用料金が高いことを、

財布の紐を握る妻から指摘され、

泣く泣く解約した。

 

解約の際には、

近所に住むアメリカ人の友人の助けを借り、

英語でメールを送ったのだが、

持つべきものは友であると、

あらためて感じた次第であった。

 

いつものように脱線したので話を戻そう。

 

脳室周囲白質軟化症では、

リハビリテーションにより、

脳性麻痺の程度を軽減することが知られている。

(こちらもエビデンスに関しては調べ切れていない)

(ほんとAHEADMAP会員として恥ずかしい限りだ)

 

また、子供の脳の発達は、

成長とともに目まぐるしく変化するようで、

どんな変化をするかは誰にもわからないことが、

知られている。

 

他にも、

障害を受けた部位の働きを、

障害受けていない部位が代わりをなすことで、

身体障害の程度も様々なようだ。

 

そんな話を聞いたり、

実際に脳室周囲白質軟化症の子供を持つ方の、

ブログなどを見たりすることで、

脳性麻痺が起こらない未来を期待してしまう。

 

親として当然かもしれないが、

将来車椅子で過ごす息子の姿や、

将来寝たきりになってしまう息子の姿や、

将来会話もままならない息子の姿などは、

想像したくないと思ってしまう。

 

そんな気持ちがあるからか、

リハビリをはじめとした、

様々な試みの先に、

義母の言葉を借りるなら、

『普通』に成長してくれるのではないか?

という気持ちが少しもないわけではない。

 

現実を受け入れる

 

そんな期待感を持ちながら、

現実を無視した過度の期待であってはならない、

と自分に言い聞かせている。

 

なぜそのように言い聞かせているのかといえば、

2つ理由がある。

 

第一に、

脳室周囲白質軟化症として、

障害された脳の部位は回復することはないから。

 

第二に、

具体的なエビデンスとしての%は未確認であるが、

脳室周囲白質軟化症の大半に脳性麻痺の合併が、

知られている以上、合併しないということは、

奇跡に近い確率である可能性が高いから。

 

つまり『現実を見る』ということが、

自分自身に言い聞かせている理由なのである。

 

また、私や妻は、心が強くないと自認している。

 

脳性麻痺がおこらないという期待をしすぎた結果、

息子に脳性麻痺の発症が認められた際に、

私達親が受けるショックが大きいのではないか、

そのショックに耐えられるのか、といった懸念が、

過度の期待をしないように、

という戒めに繋がっている気がする。

 

もちろん、

奇跡のような確率が実際におこるためには、

それこそ奇跡が起こることを信じることが、

必要なことぐらい重々承知している。

 

しかし、

全ての人が信じて行動した結果、

全ての人に奇跡が起こるのであれば、

それは奇跡でも何でもないと思うのだ。

 

ネガティヴなことを言っているように、

聞こえるかもしれないが、

少なくとも私達夫婦は、

子供の障害を受け入れ、

出来ることをしながら、

子供の成長を見守っていくしかない、

と考えている。

 

将来を考えると

 

この先、息子の成長がどのようになるかは、

今現在、誰にもわからない。

 

ただ、将来起こりうることを想像することは、

実際に想定していたことが起こった際に、

行動するキッカケになるのではないか、

と思っている。

 

例えば、

現在住んでいるのは一軒家の借家であるが、

もしも息子が車椅子となった場合には、

転居する必要もあるかもしれない、

といったことだ。

 

他にも、

特別支援学校についてだったり、

現在脳性麻痺で暮らしている方の事例を調べたり、

様々なことを考えている。

 

人生全てに言えることだが、

未来は誰にもわからないので、

様々なことを想定していたからと言っても、

必ずしも幸せでいられるかどうか不明である。

 

息子だけでなく、

娘や妻や私自身のことも考えなければならない。

 

将来のことを考えながらも、

現実だったり、今を大切にしながら、

家族と向き合っていくしかない。

 

以前に書いたブログと、

大した違いのない文章であったが、

ここらへんで今日のところは終えようと思う。

 

いつものように、

タイトルと内容が合っていないことや、

駄文拙文であったが、

もしも読んでくれる人がいたら、

感謝の言葉しかない。