~学びと気付きの場所作り~

◆地域での活動や、日々試行錯誤した事について書いています◆

息子の障害を知った時

私には、来月2歳になる長女と、

今週6ヶ月になる長男がいる。

 

幸いにも子供を2人授かったわけだ。

 

こんな私であるが、

20代の頃には子供が欲しいと思えなかった。

 

子供が嫌いなわけではない。

むしろ子供は好きな方だ。

 

ではなぜに子供が欲しいと思えなかったのか、

というといくつか理由がある。

まず、20代の時にはドイツ留学したい、

という夢があったことが挙げられる。

そのことについては過去ブログに書いたので、

リンクを添付しておく。

(参照:学生時代に考えていたこと〜夢と現実〜③ - ~学びと気付きの場所作り~)

 

もう一つ理由があった。

『もし生まれてくる子供に障害があったら心から愛せるのだろうか』と考えていたからである。

こんなことを考えていたのは、

障害を持つ人に対する偏見もあったのだろうと、

今になって思う。

 

差別とは違くて、

浅はかな想像の中で、

バイアスを持っていたのだろうと思う。

 

言葉にするのは難しいがなんとなくそんな感じだ。

 

脳室周囲白質軟化症

 

そんなことを思っていた私が、

第二子を授かり、そして、

その子に障害があると知った時に思ったことを、

吐き出していこうと思うが、

息子の障害については過去ブログに書いてあり、

そのブログを添付する。

(参照:脳室周囲白質軟化症を知った日 - ~学びと気付きの場所作り~)

 

添付したブログとは異なる部分を、

今回は書いていこうと思うのだが、

はっきり言って書くのを躊躇っている自分もいる。

 

そもそもまず最初に知った時、

「なんで私の息子が…」

という気持ちが先行した。

 

その後、涙が溢れ出し、

しばらく止まらなかった。

 

息子がたどるであろう人生を、

私の浅はかな想像の中で思い描き、

苦しい思いをするのではないか、

なんて思ってしまっていた。

 

医療従事者なのに

 

そんなことを思うと、

また涙が溢れ出る。

そんな繰り返しであった。

 

そんな時、

ふと頭に浮かんでしまったことがあった。

それは、医療従事者の1人として、

本当に恥ずかしく、

この場で改めて言葉にするのも憚られる、

記録として残しておいてもよいのかと悩む、

そんなことだ。

 

それは

 

うまれてこなければよかったのではないか

 

ということだった。

 

そう思うとともに、この思いは、

息子に向けられていないことに気がついた。

そう、苦しいと思って泣いていた、

自分自身に向けられた言葉だと気づいたのだ。

 

気づくと同時に、

そんな浅ましい自分に、

こんな醜い心の自分に、

弱い…弱っちい自分に、

息子の将来を決めつけていた自分に、

息子をきちんと見れていなかった自分に、

嫌気がさした。

 

自分のことしか考えられていないじゃないか。

息子のことなんて考えられていないじゃないか。

そう責め続けるとともに、

贖罪のつもりで息子にできることを探しはじめた。

 

息子の将来を思って

 

医学的な知識だったり、

脳室周囲白質軟化症について書かれたブログや、

鍼灸やリハビリについてなどなど、

色々と調べてみた。

 

そうした行動によって、

心は落ち着いていった気がする。

 

また、子供の将来を考えた時に、

このまま釜石にいていいのか、

と考えたこともあった。

 

障害についてよく知らない私がいうのもなんだが、

日本は障害に対する理解が乏しいのではないか、

と感じていたので、

例えば、福祉国家としてのイメージが強い、

北欧に住んだ方がよいのでは、

なんてことも考えた。

 

将来、障害を持つ可能性が高い息子が、

暮らしやすい場所に行こう。

 

しかし、またしても私の心が邪魔をする。

 

行ったとしても、

自分自身は穏やかに過ごせるのか、

妻は穏やかに暮らせるのだろうか、

仕事はあるのだろうか、

あったとしてもうまくできるだろうか、

そんな自分自身の都合をネガティブに考えてしまったのである。

 

人との繋がり

 

そんなことを思っていたのだが、

今になって思うのは、

釜石で色々な活動をし、

たくさんの人と繋がってきて良かった、

ということだ。

 

いきなりなんだ、

と思われるかもしれない。

 

息子のことだけを考えれば、

上記の選択肢もありだと思うし、

実際そのように行動する人もいるだろう。

 

そんな行動ができない私は、

親が安心して暮らせることが、

子供の平穏にもつながる、

そう考えるようになったのだ。

 

事実、息子の将来について思い悩んでいた時に、

相談に乗ってくれる人が釜石にはいた。

職場だったり、職場外であったり、

多くの人が相談に乗ってくれた。

 

その度に私は救われていった。

 

そんな気がする。

 

また、何より、こんな女々しい自分とは異なり、

母親としての強さを表現した妻にも感謝したい。

 

これからも色々と思い悩むこともあるだろうし、

その時には、

今思っていることとは、

異なる選択をすることもあるかもしれない。

 

人生なんてそんなもんだと思う。

 

妄想は自由だし、

想像も自由だし、

予測も自由だ。

 

しかし、その時その立場になってみないと、

わからないことがあると思うのだ。

 

この先に、

息子にどんなことがあっても、

親として覚悟を持って、

向き合い続けていきたい。