~学びと気付きの場所作り~

◆地域での活動や、日々試行錯誤した事について書いています◆

学生時代に考えていたこと〜夢と現実〜⑤

長々と自分の人生を振り返っており、とてもじゃないが自慢できるものでもなく、むしろ恥ずかしい内容が多いが、今日も続けていきたい。

 

あいかわらず勉強は…

 

昨日のブログでは大学時代のサッカー部での活動を書いてみたが、部活以外では色々と問題の多いキャンパスライフだったと思う。

 

昭和薬科大学の講義は、期末試験の結果で単位取得できるか決まり、試験に合格しない場合には追試があった。大学を浪人していたので、何となく想像つくかと思うが、私はペーパー試験が苦手である。

何回追試を受けたことやら…

 

苦手と書いたが、振り返って思うのは、要領が悪いのだ。極端な例で言えば、試験範囲があったとして、試験に出なさそうな範囲を勉強してしまうタイプであった。限られた勉強時間の配分も計算できず、面白いと思うと試験に出ようが出まいが読み込んでしまうのだ。読み込んでしまうと書いたが、試験勉強としても賢いやり方ではない。インプットするのみでアウトプットにはほぼ時間を割いていなかったのではないかと思う。友人達はみな、先輩から過去問を入手して、傾向と対策を練った上で勉強していたが、私も過去問は入手するものの、手に入れて満足してしまい、全く活用できていなかったと思う。

 

そんなこんなで、追試をこなしながらも何とか4年生まで進級できたのだが、それは当時の昭和薬科大学の方針によるものだった。というのも、私が入学したのは、4年制最後の代で、一個下の代は6年制ということもあり、カリキュラムが異なることで生じる混乱を避けたかったのか、どれだけ単位を落としても留年せずに進級することができたのだ。

 

そんな背景もあり、留年することなく4年生になったものの、落とした単位をら4年生時点で回収せねばならず、それはそれは大変であった。まぁ自業自得なのだが…

 

卒業試験

 

落とした単位を何とか回収したのも束の間、卒業試験がやってきた。

 

(薬科大学はどこもそうだと思うが)薬剤師国家試験の合格率がそのまま大学の人気に直結することもあり、大抵の薬科大の卒業試験は国家試験ベースのものになっている。

 

うちの大学の場合は、卒業試験が3回あり、最初の2回で合格点に満たない場合は3回目の試験を受ける仕組みであった。

 

薬剤師国家試験の日程が決まっていることもあり、最初の2回で卒業を決めてしまうことが、国家試験の勉強により時間をさけるのだが、ここでも私は試験勉強に苦慮することになる。

しかも4年生の卒業試験の前には、現在働いている岩手県釜石市の中田薬局に就職が決まっていたし、卒業してお金を貯めて留学したいという夢を持っていたこともあり、卒業試験も国家試験も失敗できないというプレッシャーがあった。

 

今まで散々要領を得ない勉強をしていた私であったが、卒業したいという思いもあり、過去問を解きまくっていた。

その甲斐もあってか、3回目まで達してしまったものの、卒業試験をクリアすることには成功した。

しかし、問題の背景を理解せず、暗記に近い形でこなしていたこともあり、卒業したものの、国家試験への自信は皆無であった。

理解せずに問題なら挑んでいたことで、言いようのない不安に苛まれながら、刻一刻と迫る国家試験を前に、この時生まれて初めて勉強の最中に涙した。

自分への不甲斐なさ、情けなさ、自業自得、もっとやっておけばよかったという後悔、失敗するとやっと見つけた夢が遠のいてしまうこと、内定先からの期待、そうした様々な感情が混ざり合っていた。

 

こんな状態であったので何となく想像つくかもしれないが、国家試験には落ちてしまったのである。

 

国家試験浪人

 

人生で五度目の浪人時代を経験することになったのだが、今までと異なるのは、社会人になったということである。

国家試験浪人の場合、多くは予備校に通うのだが、私の通っていた薬学ゼミナールは一年コースと半年コースがあった。

 

私は、半年コースを選び、コース開始の9月までは、内定先の中田薬局で働くことにした。

生まれて初めての一人暮らしである。

しかも縁もゆかりもない釜石での生活、不安がないわけではなかったが、中田薬局のサポートもあり、充実した日々を送ることができた。

この経験が、これ以上失敗できないという強い気持ちに繋がったのだと思う。

中田薬局で非薬剤師として働いた経験は、現在に活かされているのだが、その話はまたいつか書きたいと思う。

 

さて、3月中旬から働きはじめて、あっという間に9月になり、実家のある東京都八王子市に戻り、薬学ゼミナール八王子校での予備校生活がはじまった。

 

はじめての受験成功体験

 

今まで書いてきたように、散々試験で失敗したこともあり、これ以上失敗できない状況となったわけだが、この失敗経験からようやく成功体験を得ることになる。

 

今までの失敗の多くは、アウトプットに時間を割かなかったことが原因であった。また、自己流というか、試験範囲外の勉強をマイペースにしてしまうという愚行を犯してしまったことも原因であった。

 

そうした失敗を経て、私は予備校をひたすら信じてついていこうと決心した。

また、今まで書いていなかったが、勉強場所の問題も失敗につながっていたと思った私は、朝から晩まで予備校に缶詰めになり、家では勉強しないというスタイルで挑むことにした。

というのも、集中力がなかったり、誘惑に負けてしまう弱い精神力の私は、家では勉強出来ないタイプであり、そうしたことが大学時代の失敗、さらには大学受験浪人時代の失敗に関連していたのだ。

 

だったら、大学時代なんかは、家でなく学校の図書館で勉強すればよいじゃないかと思う人もいるだろう。しかし、ここでも『周りを気にしてしまう』弱い精神が顔を覗かせ、学校では勉強できなかったのであった。

もう少し詳しく言えば、例えば大学で国家試験の勉強をしていた時のこと、勉強の合間に一緒に勉強していた友達との何気ない会話の最中に、試験勉強やその内容についての話題になるとする。

上記のように、ろくに理解せずに過去問をこなしていた私は、友人の会話についていけなかったのだ。

そんな自分でありながら、変にプライドというか虚勢を貼ってしまう浅ましい性格でもあったため「国試を目前に控えた時期に、今更こんな範囲を復習しているなんてカッコ悪い」と自分で思ってしまい、本来であれば出来ない範囲を出来る様にするためには、出来ない自分を曝け出してでも勉強すべきであったのに、弱っちい精神力のため、それが出来なかったのだ。

さらには、周囲の出来と、自分の出来なさを比較してしまうことにも精神的に疲れた私は、大学にも行かずに自宅で勉強していたのだが、それも失敗の原因であったと思う。

 

話がそれたが、そんな失敗経験もあり、誰よりも早く(先生よりも早く)予備校に行き、講義を受けたあとは復習と問題練習を欠かさず、予備校がしまるまで勉強し、帰ったら食事・風呂・睡眠という生活を続けていった。

また、上記のように予備校の授業や講師を信じていたこともあり、私の成績はグングンと上がっていった。何より、薬学ゼミナールでは毎日小テストがあったのだが、その小テストで常に上位をキープし続けることが出来た。小テスト自体は、前日の内容を反映した復習もかねたものであったのだが、予備校を信じて練習を欠かさなかったことが成功体験に繋がった。さらに、模擬試験もあったのだが、結果的に全国でも上位に入ることも出来たのだ。生まれて初めての経験であった。今まで、試験といえば最下位から数えた方が早かった私が、上位にいるなんて、自分でも信じられなかった。

そうした小さな成功体験を積み重ねた結果、国家試験当日には、これだけやってきた自分が落ちるわけがない、という良い意味での自信を得ることが出来た。もちろん結果は合格であったのだが、この経験は私の人生に彩りを与えるとともに、失敗続きだった私に大きな自信となったのは言うまでもない。

 

さてさて、長々と書いてきたが振り返ってみると、自分にとっての気付きが多く、恥ずかしげもない内容だったが書いてよかったなと思った次第である。