~学びと気付きの場所作り~

◆地域での活動や、日々試行錯誤した事について書いています◆

学生時代に考えていたこと〜夢と現実〜④

昨日のブログでは大学入学時までを書いた。

今日は大学入学後の話をしようと思う。

 

四年遅れてのキャンパスライフ

 

昭和薬科大学に入学したわけだが、私は四浪していたので、同級生は4つ年齢が離れていた。

私には弟がいるのだが、弟とは3歳差。

つまりは弟よりも年下の同級生である。

 

私はおよそ4年ぶりの学生生活ということもあり、馴染めるかなぁと不安があった。

この不安の背景には、高校の同級生から聞いていた話も影響していたと思う。というのも、四浪しての入学ということは、高校の同級生は大学を卒業しており、その友人からキャンパスライフについて伝え聞いていたからだ。

記憶は定かではないが、いわく講義がたくさんあって、みんな各々異なる講義を選択するので、よほど同じ講義を選ばない限りはクラスメイトとの仲は深まらないといったことだったと思う。

 

こういった不安は、薬学部という単科大学であったため、杞憂に終わった。

というのも、同学年の学生は350〜400名ほどで、クラスも2つしかなかったし、基本的にクラス単位の講義が多く、選択の科目は少なかったこともあり、クラスメイトとの仲が深まりやすい環境だったからだ

(といっても最初から仲の良い友達ができたわけではないが)

 

そんなこんなで始まったキャンパスライフであったが、最初は部活やサークルといった活動を熱心にするつもりはなかった。

大学卒業後にお金を貯めてドイツに留学したいという夢があったからである。

 

最初はサッカー部に入る気はなかった

 

目標を達成するために、大学での勉強を終えたらバイトをしたり、サッカー関連の勉強をしたり、そういった時間にあてようと思っていた。

そうした時間を捻出するには、部活やサークルは余計な時間でしかない、そう考えていた。

 

しかし、高校時代の友人から言われた言葉で私の心は揺れ動いた。

「サッカーやった方がいいぞ、きっと後悔する」

高校の同級生で、同じサッカー部のキャプテンであった友人からの言葉が決定打になり、昭和薬科大学サッカー部を見学しにいった。

(その言葉以外にも、大学のクラスメイトと一緒にサッカー部を見学することになったのもあったが)

 

ここでも私の足の弱さのようなものが滲み出ているかと思うが、今思えば後悔など少しもない。

なぜなら大学のサッカー部での経験は貴重なものになったからだ。

 

ちなみに、部活と聞くと規律があって、体育会系のイメージを持つ人もいるかもしれない。

薬学部という単科大学の部活は、そもそもの学生の人数が少ないこともあり名前とは裏腹に、総合大学のサークルに近いものがある。

 

実際に昭和薬科大学のサッカー部は、練習こそ週に3日ほどあった(と記憶しているが)ものの、サークルとか同好会といった雰囲気で、サッカー未経験者もいたり和気藹々としたものだった。

と言っても、私自身は、四年間運動もせず浪人時代を過ごしていたこともあり、久しぶりのサッカーは老体に鞭を打つが如くキツいものであった。

特にGKは、ブランクの影響は強く感じた。

 

GKのイメージと言えば、キツい・汚い・危険の3Kがよく言われるところであるが、久しくシュートを受けていなかったこともあり、とにかく痛いのだ。

小中高とよくやっていたなと感心するほど、シュートを受けると痛みを感じ、その痛みが恐怖心へと繋がる。まぁだんだん感を取り戻していくにつれ、痛みにもなれ、恐怖心も感じなくなってくるので不思議なものだが。

そんなこんなで、またサッカーをはじめることになったわけだ。

 

昭和薬科大学サッカー部

 

私の入部当時、2年生は確か5名ほど、3年生は5名ほど、4年生は3名ほど、試合ごとに全員揃うのかどうかが怪しくなるほどの状態だった。

そして我々1年生は11名、そういった意味では一気に大所帯になったっけな。

 

GKは不動の守護神が3年生にいたのもあって、私の出番はなかったが、フィールドプレイヤーの同級生には出番がたくさんあったと思う。

こんな状況ではあるので、当然の如く監督もいない。練習メニューは自分達で考えるわけだが、まぁ大体ルーティンのものだったし、強度も低い、楽しければいいやれって感じで、自分もそれで良いとも思っていた。

郷に入っては郷に従え。

 

そんな状態ではあったが、私が2年生に上がる頃、状況は一変した。

自称監督として、チームを率いることになったのだ。

私の夢であるサッカークラブの監督を経験する絶好の機会に見舞われた。

練習メニューを考えたり、先発メンバーから交代のシミュレーションを考えたり、スカウティングやビデオを使ったミーティング、色々と自由にやることができた。

オシム監督のトレーニングや、バルセロナのトレーニング、などを取り入れたり、サッカー指導者の専門誌や専門書を読み漁っては試したり、練習のコーディネートの仕方や、トレーニングをどう中断してどんな声かけをするか、など実践を通じた学びがあり、沢山の気付きと刺激を受けた日々だった。

 

その一環で、新入生に対する部活紹介の時には、1人で壇上に出ていき、プレゼンをしたりもした。

サッカーがいかに素晴らしいスポーツで、世界中で愛されているかを熱く語ったあと、サッカー部の現状を伝えながら、勧誘したのを覚えている。

当時は、今のようにkeynoteなどのプレゼンソフトを使うことはなかったが、ほんとに貴重な経験だった。

 

自称サッカー部監督として学生生活を送る傍ら、東海大学サッカー部のゼミに参加してみたり、有名な監督の講演を聴きにいったりもした。

ゼミは確かメンタルトレーニングについてたったと記憶している。

薬学部のサッカー部監督、しかも学生でありながら、自称とつけての自己紹介であり、きっとゼミの参加者は「なんだこいつ」と思っていただろう。

そんな環境に勇気を持って参加したのもまた良い思い出である。

 

ちなみに、上記の新入生勧誘プレゼンの結果、新1年生は20名以上の入部があった。

しかも、高校時代バリバリサッカーをこなしていた実力者達が多く、嬉しい悩みを抱えることになった。メンバーがたくさんいることは、様々な戦術を考える余地が生まれるが、大所帯をマネジメントするのは大変だった。1〜4年まで40名弱であったが、大学入学までのサッカー経験値も異なる上に、楽しければ良い人もいれば勝負に拘りたい人もいて、全体の方向性をまとめるのが大変だった。

その過程で、同級生のチームメイトと仲違いしたりもした。

 

仲違いと言っても、部活以外の講義でも顔を合わせるので、その時期は正直大学に行きたくなかった。

軽く鬱状態だったと思う。

まぁ今となっては良い思い出だ。

 

まぁそんな感じで監督をやらせてもらったが、成績としては大したものを残さなかった。

しかし将来の夢である、サッカークラブの監督という仕事を、規模が小さいながらも体験できたことは一生の財産である。

 

夢を公言し、行動することが、いかに重要か気付かせてもらい、自分の人生にも大きな影響を与えた期間だったと思う。

そんなこんなで大学のサッカー部時代を振り返ってみたわけだが、明日はサッカー以外の大学時代を語っていきたい。