~学びと気付きの場所作り~

◆地域での活動や、日々試行錯誤した事について書いています◆

学生時代に考えていたこと〜夢と現実〜③

昨日のブログでは、漫画家になろうと思ったのに、

漫画家の現実を知った結果諦めるという、なんとも情けないお話を書いて終わった。

 

今日はその後から続けていきたい。

 

小学生時代の気持ちを思い出す

 

漫画家を諦め、また『自分が何をやりたいのか』悩むことになった。

 

ちなみに、この時は三浪目の最中であり、勉強しろよという声が聴こえてきそうだが、当時の私には勉強よりも大切なことだったんだろう。

もし今の『私』が、当時の『私』に声をかけるとするならば、『必死になって勉強しろ』と言うだろうが、あの頃の自分があったから今の自分があると思うと悩ましいところである。

 

将来なりたいものは何か?

を見つけるためにモラトリアム期を過ごしていた私であったが、ふとしたキッカケで原点回帰することになる。

 

それは、定期購読していたサッカー雑誌『World SoccerDigestEXTRA』の特集『サッカー関係の就職事情』(記憶が定かではないが、特集の名前はこんな感じだったと思う)を読んだときのこと。

特集の中で、プロサッカーチームの監督になる方法に紙面が裂かれていた。

 

そこには、欧州のビッククラブの歴代監督の中には、プロ選手のキャリアを経ていない人もおり、そんな稀有な監督の例が取り上げられていた。

稀有と書いたが、サッカー監督の大半はプロ選手を引退後に指導者の道を志すパターンがほとんどであるため、『稀有な』と書いた。

 

ちなみに、当時FCポルトを率いて欧州チャンピオンズリーグを制したジョゼ・モウリーニョを筆頭に、リヴァプールの監督経験のあるジェラール・ウリエ、プロ選手経験のない監督として最も有名なアリゴ・サッキ、などなどたくさんの監督が取り上げられていた。

 

他にも、サッカー指導者になる方法が、日本・ドイツ・英国・イタリア・スペイン・ブラジルなどの国ごとに簡単にまとめられていたのを思い出す。

 

紙面の紹介はさておき、この特集を見て、小学生時代に思い描いていたものが思い起こされたわけだ。

それは、一度はプロサッカー選手になりたい、と思っていたことや、ボランティアでもいいからサッカー(GK)の指導に携わりたいと思っていたことである。

 

それに加えて、GKが主人公のサッカー漫画を描いて少しでもGKが理解されるようになってほしいと思っていたことが、私の頭の中でリンクした。

「俺ってこんなにサッカーが好きだったんだな」

その時から私は、将来はサッカーの指導者になりたいという夢を持つことになった。

 

モラトリアム期の終焉

 

『サッカーの指導者になりたい』という夢を見つけてから、勉強にも身が入るようになった。

この夢を見つけたのが三浪目を終えて四浪目にさしかかる時であったこともあり、一般的には時既に遅し、と思われるかもしれない。

 

今思い返して見ても、自分の中に後悔はない。

後悔がないのは、このモラトリアム期があったからこそ、今の自分につながっていると感じるからだ。

あるのは親への謝罪と感謝の気持ちだけである。

こんな四年も浪人する息子、しかもろくに勉強もしない息子を持って肩身の狭い思いをしていたのではないかと思うと、両親には申し訳ない思いで一杯である。

 

さて、サッカーの指導者になりたいと漠然と思っていたわけではなく、私の中には何となくではあるが今後どうしていくのか考えていた。

 

父との約束

 

それは、薬学部に進学し、薬剤師になってお金を貯めて、ドイツに留学して、ドイツでサッカー指導者のライセンスを取り、ドイツ人と結婚してドイツに帰化し(今思えば何てことを考えていたのかと思うが)、ブンデスリーガのクラブの監督になるというものだ。

 

まず日本で指導者になる道は考えなかったのか、という話である。

サッカー指導者へのなり方を調べる中で、当然の如く日本の指導者事情を調べた(浪人中なので勉強しろよという話であるが)

当時の情報ではあるが、日本のサッカー人気が高まるにつれ、当然の如く指導者のライセンスを取得したい人は増えていったし、日本サッカー協会(JFA)が環境整備を進める中で、JFAのライセンスを持っていないとクラブの指導者になれない仕組みがあったこともあり、サッカー指導者の人口は増えていった。

ということは、少し調べれば、日本のサッカー指導者事情がわかるわけだが、当時そこに書かれていたものの中には、サッカー指導者だけで生活できる人は一握りであること、生活するために仕事をしながら指導者としてレベルアップするのは難しいこと、などがあった。

そうした理由もあり、日本以外の国で指導者ライセンスを取得したいと思ったわけだ。

 

留学希望先がドイツであった理由は、多くの日本人指導者がドイツでサッカー指導者のライセンスを取得していたことや、ドイツは比較的欧州の中でも治安が良かったことや、ドイツは大学の学費が無償(州ごとに異なるようだが多くは無償)であり生活費のみで何とかなること(これもサッカーに限らず多くの日本人が留学していたため情報があった)があった。

ドイツの大学に入学する方法も調べたわけだが、確か日本の4年制大学を卒業していれば、ドイツ語の試験を受けて語学能力を証明すればよかった。

(記憶は間違っていなかった→参照:ドイツ大学留学について | ドイツ留学サポートセンター)

(ここらへんの文章は私が記憶の限りで書いており、もしこのブログを読んでドイツ留学を考えるのであれば、キチンと調べてからお願いします)

 

そんなこんなで、自分の中で『今後の道標』のようなものができ、2005年の4月から昭和薬科大学に入学することになった。

ここから先の話はまた明日書こうと思う。