~学びと気付きの場所作り~

◆地域での活動や、日々試行錯誤した事について書いています◆

地域で活動するのは何故か?

前回ブログに書いた釜石での活動

 

今現在、主なものは

ケアカフェかまいし

(年に4回ペースで活動しており、毎回、マスターをさせて頂いております)

釜石コンテント

(薬剤師の有志の勉強会で、研修会と論文抄読会を月に各1回ずつ開催しております)

の2つがあります。

 

これから、

活動内容や、そこから得たもの、試行錯誤の過程、等を書き記す前に、

何故、こういった活動をするのか、といったことを述べていきたいと思います。

 

manabi-to-kiduki-no-bashodukuri.hatenadiary.jp

 

「なんで地域に目を向けて色々やっているの?」

 

友人から、よく質問をされます。

何を隠そう、私は釜石出身ではないからだと思います。

 

生まれも育ちも、東京都八王子市。

大学卒業とともに、故郷を離れ、

縁も所縁もない釜石へ来たのが、東日本大震災の1年前。

 

そんな経歴を知る人なら、誰もが一度は思うのかもしれません。

 

この質問に対する答えは、

釜石が好きだから

これに他なりません。

 

そして、その理由は

釜石の人々とのつながり

にあると思います。

 

そもそも何故釜石に?

 

大学在学当時、ある夢を抱いていました。

それは、

薬剤師としてお金を貯めてドイツに留学し、

サッカーの指導者のライセンスを取得したい

というものでした。

 

その夢を達成する為に色々な条件(今回は割愛)を吟味した結果、

釜石市の現在の職場にたどり着いたのであります。

 

縁も所縁もないどころか、

お恥ずかしい話ではありますが、釜石市自体知らなかった私。

 

そんな私に出来たつながり、それは

会社の仲間、

地域のサッカー部、

そして、患者さんや、医療や介護の関係者、でした。

 

つながりが出来て間もなく・・・

あの震災を経験しました・・・

 

東日本大震災

 

八王子にいた頃はテレビの向こうにあった被災地・・・

まさか自分が・・・

そんな事を感じました・・・

東日本大震災の頃の詳細はまたの機会に書きたいと思います)

 

当時を振り返ると、幸いにも、

職場も住んでいた家も被災しなかった事もあったのだと思いますが

不安になる事はあまりなかったなぁ・・・

それは、やはり会社の仲間がいたからだと思います。

 

発災翌日からの避難所回り、

食事の確保、

昼夜を問わず目の前のことに対して、

みんなで立ち向かったこと

今では良い思い出です。

 

新日鐵住金釜石サッカー部

 

サッカーの指導者になりたかった私は、

釜石に来てから、地域のサッカー部に所属しました。

(現在の私の体型を知る人は信じられないと思いますが)

 

当時の部員は

上は15~20歳年上の方から、下は18歳まで、

ドイツに留学したいという、わけのわからん夢を持った私を、

こころよく受け入れてくれました。

 

会社以外のコミュニティが出来たこと

それは、とてもかけがえのないものだと感じています。

 

仕事を通じた薬局外のつながり

 

釜石の魅力の一つ、

それは、外から来た者を受け入れる文化です。

 

歴史から見ても、

新日鐵があったことが、この街の発展に大きな影響を与えており、

全国にある製鉄所からの異動などが当たり前なため、

外者を受け入れる土壌が出来たのだと思います。

 

また、もう一つの魅力は、

医師会、歯科医師会、薬剤師会、

いわゆる三師会のつながりが出来ており、

顔の見える関係が、私が行った時には既にありました。

 

こんな魅力がある街なので、

薬局外のつながりが沢山出来ていきました。

 

こういったつながりがあるからこそ、

つながっている人達の為に何が出来るのか、

と考えるようになったのだと思います。 

 

地域のつながり、地域でのコミュニティ、

そういった要因だけでは、

地域で活動することは出来ないのではないか?

そう感じる方もいるかもしれません。

 

私の考える、もう一つの要因、

それについては、次回のブログで書いていきたいと思います。