~学びと気付きの場所作り~

◆地域での活動や、日々試行錯誤した事について書いています◆

ターニングポイントは高校時代

一昨日『生と死と自殺と』というブログを書いた。

(参照:生と死と自殺と - ~学びと気付きの場所作り~)

 

そこでも書いたように、

私は小さい頃から、目立ちたがり屋で、

注目されたい思いや、認められたい思いや、

特別だと思われたいという気持ちを持っていた。

 

そんな私の小学生時代は、友達にからかわれ、

今にして思い返せばイジリであるものの、

当時の弱っちいメンタルではイジメと認識し、

首吊り自殺を試みたわけだが、

死を恐れ、生にすがり、生きながらえた。

 

その経験の後、肉体の成長もあり、

いじり倒そうとする同級生に対して、

やり返す力を身につけ、抵抗していった。

 

自分は強いのだと言い聞かせるように、

少し悪びれて不良のふりをしたこともあった。

 

弱っちい自分を隠すように、

自分を大きく見せようと、

時に嘘をつくこともあった。

 

また、虎の威を借る狐のような、

今思えば恥ずかしい行動をしたこともあった。

 

そんな、思い返すと赤面するような、

私の黒歴史が終わったのは高校時代であった。

 

立川高校時代

 

ブログ記事で過去を振り返ったわけだが、

私の経験した自殺未遂を語る上で、

高校時代の友達の存在は欠かせない。

 

東京都立立川高校

通称『たちこう』

 

公立の進学校

自由な校風、

制服はなく私服、

そんなキーワードが出てくる高校だ。

 

私は、父親が『たちこう』出身だったことや、

中学時代に制服が嫌いになったことや、

当時、公立でサッカーが強い高校で、

都立久留米、都立国分寺、都立駒場

の公立高校強豪サッカー部3Kと呼ばれていた

3校の次点に位置していたこともあり、

至極単純な理由で『たちこう』へ進学した。

 

そこで、かけがえのない友達との出会いがあった。

 

その筆頭。

同級生で彼を語らないわけにはいかない存在、

金井紘である。

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天性のドSであり、

天性のリーダーであり、

私がイジリをおいしいものだ、

と認識できるようになったのは彼のおかげだ。

 

彼にイジられるのは、最初は抵抗感があった。

小学生時代のように。

しかし、彼にイジられた上で起こる笑いは、

不思議と嫌にならなかったのである。

 

『笑われている=恥ずかしい』という図式ではなく

『笑われている=笑わせている』という図式になり

私の行動が周囲を笑わせているかのように、

勘違いさせてくれたのだった。

 

いじられる快感を覚えた私は、

イジメられたと認識することはなかった。

 

そう思わせてくれた彼には感謝しかない。

 

他にも『たちこう』の友達には、

多くの刺激的な存在がいる。

 

続大輔、彼もまたその1人である。

 

ちょうど彼が取り上げられた記事があった。

(参照:立川新聞 | 立川から羽ばたく人-flight of tachikawa/たちこうOBがプロデュースする「MUZOSA」はスマホのようにエコバックを持つことができる暮らしのデザイン。)

添付記事に一緒に写る女性も同級生である。

2人とは高校1年生の時に同じクラスであった。

 

演劇コンクール、

合唱コンクール

そして体育祭のキャンバス。

 

多くのイベントを友と共に過ごし、

部活で汗を流す。

 

充実した毎日だった。

 

小中学生時代には、

パズルのピースをなくしたような、

どこか空虚な心であったが、

そのピースがはまり、

満たされた気分であったと思う。

 

あの頃に戻りたいか

 

そんな充実した高校時代を送った私だが、

よく言われるような『高校時代に戻りたい』

と思ったことは一度もない。

 

なぜなら、高校時代にもどってしまうと、

高校卒業後に私の身に起こった全ての出来事が、

なかったことになってしまうからだ。

 

立川高校を卒業し、

大学受験浪人生となり、

結果的に4浪することになり、

その間に夢を見つけ、

昭和薬科大学に入学し、

また多くの出会いを経て、

たまたま釜石に来て、

これまた多くの出会いを経て今に至る。

 

この経験は何事にも変えがたいものだし、

もしも、もう一度高校時代に戻ったとしても、

同じ経験をすることはないと思うのだ。

 

今まで経験した全ての物事が、

今まで出会った全ての人と過ごした時間が、

今の私を形作っている。